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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2015/09/18 18:15

寺山修司◆沢田準の競馬を楽しく

シュウジが小倉2歳ステークスを楽勝した。妙な馬名だと思ったが寺山修司からの馬名ということで納得した。おそらくオーナーは若い時分に競馬の上で寺山の影響を受けたのだろう。

寺山修司は俳人であり歌人であり随筆家であり劇作家であり演出家であり映画監督でもあり、その各分野で異彩を放っていた才人であり、その才能は汲みきれないものであるように思われた。

そして競馬ファンだった。それも熱列な。そんな彼に予想コラムを書かせたスポーツ紙は大成功だったのである。

その予想コラムは新鮮だった。スシ屋の政、トルコの桃ちゃんといった人物を登場させ、彼らに語らせたのである。

こういった登場人物によりコラムは単なる予想ではなくちょっとした読み物になり読者の人気を集めた。またこのような複数の人物による予想は、予想家一人による予想とは違って予想の視点が多彩となり予想に厚みが増したのである。

この実在あるいは架空の人物を登場させる方法はその後も他の作者が多く採用するところとなり、現在でも随筆などいろいろなところで見ることができる。

さて競馬ブームの前後、若いファンが競馬に参入してきた。しかしその競馬ファンを悩ませたのは競馬の社会的イメージが悪いことだった。

競馬はギャンブル、つまり博打だった。日本では博打は犯罪であり、馬券発売が禁止だった時代もあった。なんとか法律で犯罪の網からは逃れていたが、当時の社会での扱いは悪事とさほど変わりはなかったのである。

学校を卒業後、民間企業に就職した私は競馬ファンであることを広言することができた。しかし金融機関に行った知人は競馬ファンであることを隠さなくてはならなかったのである。

彼が社内旅行か何かでバスで中央高速を走っていると東京競馬場に差しかかった。まさにユーミンの歌の通りだが、競馬場に目を向けていると上司が君は競馬が好きですかと聞いてきた。彼はいいえと否定したそうである。

私は驚いてしまったが、競馬がどのように世間で見られていたかを物語るのにこ話に勝るものはそうはないのではないか。

競馬が悪事につながることはイメージだけではなかった。ノミ屋から暴力団に資金が流れるという事実があったのである。

そのころ東北のある駅の売店で競馬専門紙が置いてあり驚いたことがある。現在ならそれはその町に場外発売所があることを示すが、当時は地方都市に場外などなかった。ノミ屋で買うファンのためである。

自分が興味を持った競馬が悪事であることは避けたい。自分が納得できればそれでよいのである。そこでベッテングという言葉を探してきた。博打ではない賭事、これだということになったのである。

しかしギャンブルとベッティングはどこが違うのか。結局は同じようなものであり、なかなか説明することはできなかった。

今度若いファンが目をつけたのが寺山の言葉だった。曰く、馬券を買うということは自分を賭けることだ、というのだ。

競馬とは自分を賭けること、この目新しい言葉の中に何かを見つけられるのではないか、しかし才人寺山修司は凡人の手に余るものではなかったのである。

競走馬のとらえ方も寺山は独特だった。必ずしもチャンピオンではない。寺山の感性にかなった馬が取り上げられた。

モンタヴァルの太陽モンタサン。そしてケンタッキーダービーの優勝を薬物違反で失ったダンサーズイメージ。寺山ファンはこのような馬を一緒に好んだのだった。

◆沢田準【競馬を楽しく】
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