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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2015/11/14 11:00

久しぶりに盛岡競馬場に遠征した。盛岡駅前から無料バス。この開催は一日に5便。これは水沢開催時には3便に減る。

盛岡の街の中には場外(UMACCO盛岡大通)があるので競馬場まで出かけるファンがいるのかとも思うが、広くて余裕のある競馬場のスタンドでゆっくりしたいというファンも少なくないのだろう。

途中にある多くの停留所でファンが乗り込んでくる。月曜日のことで年配者ばかりだがバスのイスが少ない。イスの多いバスにして欲しいものだが乗車できる人数が減ってしまうということか。

なおバスの台数は一回の発車時刻につき一台のみ、帰路の最終バスは土日だけは2台になる。自家用車で来場のファンが多く無料バスサービスはこの程度で十分なのだろう。大井や川崎あたりとは条件が違うということか。

競馬場までは約30分。初めて訪れたときは道はどんどん山の中に入って行き、この先に大競馬場が本当にあるのかと思ったものだが、何度も訪れるうちに慣れてしまった。

競馬場に到着。敷地の大きさとスタンドの立派なことは、こちらは何度訪問しても改めて感心する。水沢のスタンドおよび競馬場環境がかなり疲弊してしまったのと比較すると今や格差は大きく、同じ岩手県競馬の競馬場とは思えないほどになってしまった。

盛岡での開催を主にしたらとは思うが開催の経費は水沢のほうがかなり低いように思える。岩手の馬券発売は各地にある場外発馬所(テレトラック)が多いようであり、開催を盛岡を主にするわけにはいかないのだろう。

盛岡競馬場が現在のOROパークに移ったのは1996年。それ以前は岩手のメイン競馬場は水沢だった。岩手の二大レースのダービーグランプリと南部杯は水沢で開催されていた。

旧盛岡競馬場はこのような主要レースを行うのにはふさわしくない、おそらく日本の競馬場の中でも最も貧弱なものだったのである。

私が初めて盛岡を訪れた時にはとにかく驚いたことだけは記憶している。手元にある昔の資料を引っ張り出してみると昭和50年10月6日(月)の出馬表が出てきた。初めての旧盛岡競馬場訪問だろう。

今回は現在のOROパークではなく最近のファンは知らないに違いない旧盛岡競馬場の様子をお伝えすることにしよう。

競馬場には路線バスを利用した記憶がある。それほど市内だったということだ。なお旧盛岡は住宅地に使用されるということであり、数年前に訪れたときはまだ昔の競馬場の跡がしのばれたのである。

それにしてもどういうルートで盛岡に行ったのだろうか。まだ新幹線はない時代で当日に東京から行ける距離ではない。10月の月曜日ということは福島遠征の翌日か。それなら可能のように思える。若き競馬ファンだった当時、その位に日程は楽にこなしたに違いない。

そして競馬場。なんとも驚いたのはそのトラックである。非常に細長い一周1600メートル。この大きさは現在にしても地方最長だ。しかしその大きさではない。たまげた(という表現がふさわしい)のはコースのアンジュレーションである。

アンジュレーションというのはトラックの上り下りであり、イギリスン競馬場はアンジュレーションが豊富、つまり上り下りが多い、アメリカはほとんどフラットというように説明される。

日本の競馬場はアメリカと同様でアンジュレーションは少ない。ほとんど平坦であるのはご承知の通りだ。ヨーロッパ、とくにイギリスやアイルランドは競馬場のトラックをもともとある地形のままで作るため勾配がそのまま残るのである。

しかし日本の競馬場は平坦に作る。例に挙げるなら上山だ。かなりの傾斜地に作られた競馬場ではあるがトラックは全くの平坦なのだ。

ところが旧盛岡は日本の競馬場であるにもかかわらず、しかも盛岡市内という基本的にはほぼ平坦という土地であってもトラックを平らにはしなかった。

もともとの地形をそのまま残してトラックにしたのである。普通なら整地してトラックは平坦にするだろう。日本の競馬場はそのように作られてきたにもかかわらずである。

特に驚かされたのは向こう正面である。2コーナーを曲がるとやや下る、それから3コーナーに向かって急激な上り坂。こんな坂は見たことがない。坂というよりでっぱりというほうがふさわしい。

そして4コーナーに向かって下って上った後最後の直線はこれが急激に下る。とにかく日本では見たことのないでこぼのトラックだったのである。

コースの幅は狭くフルゲートは8頭。これでは岩手のメイントラックというわけにはいかない。それでも北上川大賞典やみちのく大賞典は盛岡で行われていた。

そして内馬場は畑である。これは盛岡だけではなく笠松、三条も同様でありなるほどここもかと思ったものである。その後岩手県競馬は人気が上昇しファンの来場が増えたために内馬場は駐車場に姿を変えたが、私の初訪問時は一面畑だった。

ということは盛岡市内で旧競馬場のあたりまだまだ田舎の風情だったのかもしれない。スタンドは小さく古かった。のちに訪問した水沢とはかなりの差を感じたのである。

その後岩手県競馬は売り上げを伸ばし、盛岡にも特観席やテレトラックが作られ、かつては畑だった内馬場は駐車場に変身し、ついにはオーロパークに移るのである。

◆沢田準【競馬を楽しく】
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