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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2015/11/20 17:00

それにしても現在の盛岡競馬場はよくこんなものを建てたものだと驚くばかりである。スタンドはもちろん大きく立派でありそのスケールは大井のL・WINGをはるかにしのぐ。

そして一周1600メートルのメイントラックとその内側にある芝トラック、さらに芝の内側には現在は使われていないが調教用のトラックもあった。

そしてファンのほとんどが自家用車で来場することを想定した広大な駐車場。さらに厩舎地域。これだけのものを盛岡市からかなり離れた山の中に建設したのである。

競馬場は広い面積を必要とするため当然ながら平地に作られる。しかし新盛岡は山を切り開いて作られた。よほどの費用が掛かったに違いなく、これが原因の一つというよりかなりの部分だろうが、のちに廃止騒ぎになるのである。

しかし新盛岡競馬場が計画された当時は、新競馬場を作っても十分にやっていけるだけの馬券の売り上げがあったのだろう。岩手県競馬の歴史をたどると、当時の勢いが見て取れるのである。

施設面では1986年に盛岡競馬場内にテレトラックが新設された。競馬場内に場外発売所を作るというのは妙に思われるが、盛岡競馬場だけではファンを処理しきれなかったのだろう。

テレトラックはその後1987年に宮古、88年に釜石、89年に種市、91年に水沢と安代と毎年のように新設され、新競馬場になってからも横手、津軽、山本、三本木、十和田と増加している。

またレース面では1981年にアメリカから女性騎手を招待して国内騎手と合わせてレディースカップをスタートさせた。

1986年にはダービーグランプリが地方交流レースとしてスタートし、1996年に中央にも開放され1997年には統一グレードG1となった。

手元に私が盛岡初訪問と思われる1975年の出馬表がある。月曜日のこの日のレースの賞金を見てみよう。メインレースはサラA級で1着賞金60万。先日盛岡訪問時は(つまり現在)月曜だったがメインはA級特別で1着賞金は80万と現在のほうがやや高い。

しかし5着までをあわせた総賞金は1975年のレースでは120万であるのに対し今年では112万と昔のほうが高いのだ。当時は着賞金の比率が高かったのである。

それではメイン以外の賞金はどうか。今年の場合は2歳戦がありこのレースは1着賞金は28万だが、古馬戦は11万が1レース、13万が3レース、16万が5レースである。

一方1975年のその日は10万が3レースあるが、40万が1レース、35万が2レース、あとは26万、20万、19万、つまり1日の全レースの総賞金は明らかに昔のほうが、それも40年前だ、高かったのである。

その後賞金はさらに増加したようだ。新競馬場となった1996年のダービーグランプリ当日に私は初めて訪問しているが、その日の賞金はどうなっていたか。

メインは重賞であり別格だが、A級戦は1着賞金が210万、その他は130万、120万、110万、90万、85万、70万といったレースが並び、いかにもクラスが下のようなアラブC級のレースでも55万である。

総賞金の比率は1975年当時よりは低くなっているが、それにしても現代では考えられないような賞金の高さである。

重賞の賞金も上昇の一途だった。みちのく大賞典は1982年に初めて1000万となると1990年に一気に2000万に上がる。北上川大賞典は1990年の900万が1991年に1500万に、不来方賞は1990年に1500万、桐花賞は1991年に1500万となる。

これを見ると1990年から2000年あたりが岩手県競馬の最盛期だったことがわかる。なるほどこの景気がずっと続くと思えば新競馬場への投資は十分に納得できるものだったのだろう。

◆沢田準【競馬を楽しく】
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