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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2016/02/05 12:30

今回は昔話を一話ご披露しよう。

かつては平場オープンと呼ばれるレースがあった。現在のオープン特別の前身ともいえるが、異なるところもある。

現在の古馬のオープン特別にはGⅠクラスの馬が出走することは少ないが、平場のオープン時代には天皇賞や有馬記念といったGⅠ級の前哨戦としてのオープンが存在した。

オープンを叩いて本番、というローテーションである。平場のオープンは賞金別定戦だったからGⅠ級の馬の負担重量は通常は重くなる。

しかしGⅠ級レースの前哨戦として設定されていたオープンは、賞金を稼いでいる馬でも重量がそれほど重くはならないような別定重量に設定されていたのである。

例えば昭和53年、4回中山6日目(10月22日)のオープンは、3歳1000万、4歳2000万、5歳以上3000万超過馬は1000万毎1キロ増という普通の別定重量だった。(年齢は現在の表記)

一方で天皇賞直前の6回東京3日目(11月11日)のオープンは、3歳2000万、4歳3000万、5歳以上4000万毎1キロ増と、かなり異なった言い換えれば賞金を稼いだ有力馬には有利な別定重量であ

また平場のレースだから減量のある見習騎手を使うことができ、新人騎手にとってトップクラスの馬に乗るチャンスだった。

昭和52年10月23日中山のオープン1600m、人気絶頂のトウショウボーイが出走した。▲黛幸弘騎手が58キロで騎乗、直線は2着カネコフジを引き離すばかりで7馬身、1分33秒6のレコードだった。

デビューしてまだ半年の黛騎手にとって、まことに貴重な経験だったのである。

平場のオープンは特別ではないから賞金は上位条件の特別より低く、このため主要レースへ向けての調整として使われる馬が少なくなかった。

そのなかで時にオープンを主体に活躍する馬が出現した。このような馬がオープン大将と呼ばれたのだった。その代表的存在として昭和43生まれのコーヨーがいた。

コーヨーはクラシック登録がなかったため、3歳初めにすでに3勝していたが、ダービーロードには進めずオープンを中心に戦った。4歳春にインフルエンザの影響で春の福島開催となった金杯を勝ったが重賞はこの1勝のみ。

ハンデ戦の重賞では58~59キロを背負わされるほどでその実力は認められていたのだが。7歳まで走り15勝しているが、このうち9勝が平場のオープンだった。

なお所定の番組でサラブレッド平地の平場オープンが組まれたのは昭和58年までである。



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