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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2016/04/01 15:45

日本馬の外国挑戦◆沢田準の競馬を楽しく

G1のドバイターフでリアルスティールが、G2のUAEダービーでラニがと今年のドバイ国際レースで日本馬が二つのレースを勝った。

2001年の当時はG2だったシーマクラシックをステイゴールドが初めて勝って以来、毎年というわけにはいかないが日本馬が勝つのは珍しいことではなくなった。

2012年は7頭出走して6着が最高という不振な年もあったが近年ではむしろ珍しい例といえ、今さらではあるが日本馬の国際レースでの活躍は目覚ましいものと改めて感じるのである。

というのはオールドファンにとって外国のレースといえばローレルのワシントンDCインターナショナルでの惨敗の連続の記憶が強いからだ。

芝が珍しかったアメリカでダートの内側に芝トラックを設けたローレル競馬場では、芝12ハロンの国際招待レースであるワシントンDCインターナショナルを創設した。

ジャパンCのモデルともいうべきレースである。日本からは1962年にタカマガハラが初めて参戦しその後も1980年のハシクランツまで合わせて9回の挑戦があった。

しかしほとんどのレースで完敗、それも勝負が始まる前の3コーナーで早くも後退するという始末で、日本の馬が世界の舞台で活躍する日などとても来ないと思われたのだった。

ハシクランツが出走したレースは日本のTVで見たかあるいは聞いた話だったか、ハシクランツダウンという現地のアナウンスがあって、これほど力の差があるのかとがっかりしたものである。

2000年のブリーダーズCフィリー&メアターフに出走したマルターズスパーブがやはり3コーナーで後退した姿を見たときは、ハシクランツを思い出してしまった。

もっともマルターズスパーブはこの時は体調が悪かったようで、その後しばらくアメリカに滞在し、アローワンスに勝ったりしている。

その間、スピードシンボリのキングジョージ6世&クインエリザベスSと凱旋門賞、メジロムサシの凱旋門賞への挑戦があったがやはり世界との壁を知らされるばかりだった。

その後シリウスシンボリが1985年から87年にヨーロッパに渡りキングジョージや凱旋門賞、ガネイ賞を戦い、ギャロップダイナが1986年にムーランドロンシャン賞などに出走したが苦戦している。

1986年には三冠馬シンボリルドルフがアメリカのサンルイレイSに出走、大いに期待されたがレース中に故障してしまった。

もちろんジャパンCでは84年にカツラギエース、85年にシンボリルドルフが勝っているがこれはホームでのレース、外国で主要レースを勝つのはまだまだ先と思われていた。

1993年には香港の国際レースが始まり、地理的なメリットもあり93年、94年と日本馬が出走したがやはり勝てなかったのである。

しかし1995年、ついにフジヤマケンザンが香港国際Cを勝つ。まだG2だったが国際的な主要レースを敵地で。全くの驚きだった。

そして98年8月、モーリスドゲスト賞をシーキングザパール、ジャックルマロワ賞をタイキシャトルとついにG1を連勝した。

99年にはエルコンドルパサーが出現して凱旋門賞を2着し、かつては夢でしかなかったものが現実となろうとしたのである。

その後の日本馬の活躍はご存知の通りだ。

凱旋門賞はまだ勝てないしブリーダーズCには関心が薄いようだが、香港、ドバイ、さらに豪州でも日本馬は成績を上げその実力は世界でも認められている。

ジャパンCでは日本馬が招待馬を圧倒し昨年で10連勝だ。ハシクランツダウンから35年、日本の馬がここまでになろうとはである。




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