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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2018/03/01 18:30

尾形調教師◆沢田準の競馬を楽しく

2月一杯で多くの調教師が引退した。東西合わせて12名という多さだ。元騎手もいてその中で最も親しみがあったのはやはり小島太氏である。

さくらコマースの主戦として桃、白一本輪、桃袖の目立つ服色で活躍した姿は、特に関東のファンにとっては忘れることができないものだった。

別の意味で私が注目したのが尾形充弘氏だ。尾形氏はかつて尾形の孫と呼ばれていた。ここでいう尾形とは尾形藤吉元調教師のことである。

尾形藤吉氏は日本ダービー8勝など日本の競馬界で最も実績を上げた調教師で、多くの有力馬主をかかえ大尾形と呼ばれた。その長男が尾形盛次元調教師、そしてそのまた長男が尾形充弘元調教師である。

それでは尾形充弘氏は関係者やメディアからなぜ尾形の孫と呼ばれたのか。

日本最高の調教師である尾形藤吉氏であれば尾形盛次氏さらに充弘氏と調教師が代々と続くのは当然のことのように思える。

例えば池江康郎元調教師から池江泰寿調教師のような関係を思い描くだろう。

しかし尾形盛次氏は競馬に関係のない社会生活を送っていた。競馬社会に入るつもりはなかったのである。しかし藤吉氏は年配となりこのままでは日本の競馬から尾形の名前が消えてしまう。

現代では別に構わないと思われるだろうが、当時では尾形の名はそれほど大きかったのである。

このため盛次氏は競馬界入りし調教助手から調教師となった。54歳。調教師定年のない時代であり、このとき藤吉氏はすでに81歳になっていた。

しかし盛次氏は調教師になったとはいえそれまでは競馬にかかわっていなかった人であり、調教師としての技量をどれだけ持っていたかは疑問である。

そのような盛次氏に中央競馬会が調教師免許を下したのか。それは尾形の名を残すためである。中央競馬会より尾形の名のほうが大きかったというわけだ。

充弘氏も盛次氏とおなじように大学卒業後は一般の社会生活をしていた。しかしやはり競馬の世界に入ることになった。26歳の時である。

イギリスでの競馬留学を経て尾形藤吉厩舎の調教助手となったまだ若かった充弘氏は実質的に厩舎を運営することとなった。尾形の孫のゆえんである。

なお盛次氏は77歳で調教師を引退、充弘氏はその14年前に35歳で調教師免許を取得した。





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