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沢田準【競馬を楽しく】
配信日:2018/05/24 14:15

中山大障害◆沢田準の競馬を楽しく

オジュウチョウサンが福島の平地のレースに出走するということを水上学氏のブログで知った。7月7日の2600メートルの500万下の特別ということだ。

これを見て思い出されるのがかつての障害王のバローネターフである。バローネターフは中山大障害を5勝した。

5勝目は現在の年齢で7歳の秋の1979年12月、この前哨戦として出走したのが3200メートル時代の秋の天皇賞だった。

13頭立てだったこの天皇賞は大変な不良馬場となり3分33秒5とかかり(レコードは3分20秒3)、スリージャイアンツがハナ差でメジロファントムを破った。

バローネターフはもちろん最低人気だったが11着、1番人気のメジロイーグルに先着したことが話題となったレースだった。

さてバローネターフはオジュウチョウサンと同じく平場未勝利だった。ではなぜ天皇賞の出走したのだろうか。

それは当時は収得賞金は平場と障害の区別はなく合算だったためである。このためバローネターフは平場でもオープンの格付けだった。

それではなぜ障害のレースではなく天皇賞というビッグレースに出走したのだろうか。それは他のレースでは負担重量が重すぎるためだ。

前年の秋に使った障害ステークス(別定)では勝ったとはいえ67キロ、春のハンデ戦では69キロが与えられた(このレースは取消)。

もちろん平場のオープンに出走しても重量は重いし距離は短い。天皇賞は58キロで距離も3200と適当だ。もちろん勝つ気などあるはずもない。

まさに大障害への前哨戦として使われたのである。

ところでバローネターフの成績をたどると面白いことがわかる。初めて中山大障害を勝ったのは5歳春。このときは58キロ。2勝目はその秋で60キロ。6才時は春が62キロで2着。秋も62キロで3勝目。

7歳時は春が64キロで4勝目。そして天皇賞後の秋は66キロで5勝目となったのである。このようにバローネターフの時代は中山大障害1勝ごとに2キロ増という別定重量だった。この重量で5回勝ったバローネターフがいかに強かったがわかろうというものだ。

さて1勝ごとに2キロ増という別定になったのはもう1頭の名障害馬が存在したためだ。それはグランドマーチスで74年と75年に春秋と4連勝した。

74年春に勝った時は58キロ。その後の3連勝は60キロ。つまり1勝後は2キロ増にとどまっていた。ところが76年春には突然66キロを背負わされることとなり2着に敗れてしまった。

つまり1勝ごとに2キロ増と変わったのである。これがバローネターフの負担重量に繋がったというわけだ。

当時の競馬四季報には「突然の重量変更で、グランドマーチスの関係者の”中山大障害5連覇”を目指す意気込みは、水を差された格好になった」と記されている。

この重量変更はグランドマーチスが強すぎたためだ。最盛期には5歳秋から6歳春までに9連勝。京都大障害は65キロで勝った。ハンデ戦では66、68、70、72キロを背負っている。

それにしても強すぎるから負担重量が重くなるように変更したとは驚くべき時代があったものである。



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