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青木義明【競馬一直線】
配信日:2016/08/23 13:00

石川ワタルさんとお別れです◆青木義明の競馬一直線


今朝早く、電車を乗り継いで東京・四谷まで行ってきた。台風9号の去った真夏の湿気で黒い喪服は汗びっしょりで途中でスポーツドリンクを買い求めた。去る8月20日・土曜日に胃がんのため69歳の若さで旧友の競馬評論家・石川ワタルさんが亡くなられた。小生の2歳兄貴分である。

このサイトの「週刊競馬通信」にも快く参加してくださり、軽妙洒脱なコラムを書き連ねていただいた。他の媒体、特に「週刊競馬ブック」誌の「一筆啓上」はいつも最初に読むページだった。長年の競馬人生で培われた造詣と蘊蓄(うんちく)がにじみ出ていて彼の提案や警鐘はまさに正鵠を射ていた。3連単を100円ではなく10円単位で売るべきだ、などと馬券発売方法の改良にも気を遣っておられた。



石川ワタルさんを紹介されたとのはどれくらい前だろうか。今は「世界の合田」となられた合田直弘さんがまだテレビ東京で番組作りをしていた若き時代だったことは間違いがない。土曜日の競馬番組で弊社の「血統表」を活用してくださっていたが、その合田さんに石川ワタルさんを紹介して頂いたのだった。

確か渋谷の居酒屋に4人で集まり、酒を酌み交わしながら競馬談義に花を咲かせた。すでに競馬サークルでは「海外競馬に詳しい石川ワタル」の名を知らぬ関係者はいないくらいの大物だった。しかし、石川さんは気さくで、ダジャレも下ネタも好きで、わけても馬券が大好きだった。おおいに盛り上がってかなり酩酊し、真夜中の夜空に向かって「馬券で蔵を建てるぞ」と石川さんは気勢をあげたので、半分驚きつつもこれは小生と「同類項」だと親近感を抱いたものだった。それ以来の30年近くのお付き合いである。





最後に当サイトにおける石川ワタルさんの「最終コラム」を転載し、改めて彼の心意気を汲み取りたいと思う。そして、これまでのご厚情に感謝を申し上げ、ご冥福を祈ると同時に「この後の戦いは俺に任せてくれ」と強く胸に誓う次第である。



◆競馬お遍路さん 第11札所~中山冬の陣(2016年1月14日)


関東の競馬ファンにとって、一月下旬まであと少し「中山冬の陣」が続く。

今年、やっと初めてNHKの大河ドラマを見るようになって(遅れてる?)、それでにわかに「真田丸」用語が頭にこびりつくのは、どういうこと。

と同時に気づかされたのが、競馬もまた戦いなのだということ。これも気づくのが遅すぎる?

競馬がいくさなら、もちろん馬券もいくさ。周到な準備、対策を講じなければ、勝つことなどできない。

今も戦国乱世の時代が続いているとしたら、負けて覚える競馬かな――などと悠長なことを言っている場合ではない。いくさに負けたらすなわち死。勝って勝って勝ちまくるか、それが無理なら、引き分けを挟んでいいから、とにかく負けないか。それしか生き続けるすべはない。

生き延びて中山競馬冬の陣(詠み人知らず)

豊臣勢は堅牢な「真田丸」のおかげで大阪冬の陣を生き延びたが、家康の老獪な策略に一杯食わされ、続く夏の陣で……。

ところが、せっかく中山冬の陣を持ちこたえながら、夏より前の春の陣であえなく散ってしまった人がいる。

1981年4月、競馬新聞に赤ペンで「お馬で人生アウト」と書きを残し、中山競馬場のトイレで中年男が自殺した。今でも、新聞の片隅に載った悲報を思い出すたびドキリとする。

この世に生まれて来るには、一体どれだけ天文学的偶然の数々を潜り抜ける必要があるというのか。生きてるだけで奇跡なのにと思う。

で、第1回「真田丸」のどこが良かったかといえば、草刈正雄(真田昌幸)の存在感が際立っていた。

この人、家では何もしたくないらしく、「面倒くさがり正雄」と言われているんだって。そこだけ当方と似ていても、何にもならないね。
             
◆石川ワタル【競馬お遍路さん】
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◆青木義明の競馬一直線
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